2019年04月15日

■【心で経営】 歴史・宗教に学ぶ経営 百丈懐海 禅宗独立の基礎を定めた人 KH76091 

■【心で経営】 歴史・宗教に学ぶ経営 百丈懐海 禅宗独立の基礎を定めた人 KH76091 
 
 日本経営士協会は、ご存知の方も多いと思いますが、戦後復興期に当時の通産省や産業界の勧奨を受け、日本公認会計士協会と母体を同じくする、日本で最初にできた経営コンサルタント団体です。
 
 会員は、それぞれ異なった専門分野を持っていますので、経営士同士が競合するというよりは、専門外の分野で補完し合っています。これを「共業・共用・共育」といっています。
 
 コンサルティングという実務を通じて、いろいろな体験をしています。その体験を通して、みなさまに情報をお届けしています。
■■【心 de 経営】 歴史・宗教に学ぶ経営シリーズのコンセプト 

 かねてより、【心 de 経営】ということを基本に、永年コンサルティングをして参りました。「de」は、フランス語の前置詞で、英語にしますと「of」に近い意味合いであり用法であると認識しています。

「de」を、英語の「of」の意味で用いますと「心 of 経営」、すなわち「経営”の”心」となります。「de」を、そのまま、日本語の「で」に置き換えますと「心で経営」となります。

「心」を大切にしますと、人間関係が良くなるだけではなく、論理的な思考だけでは見えてこないものが見えてきます。

 歴史を紐解きますと、「なぜ、主人公は、あのような決断をしたのだろうか」「もし、あのようなことをせずに、このようにしたら歴史はどのように変わったのだろうか」などと「歴史に”もし”は禁物」にも触れたくなります。

 それが、ビジネスパーソンに想定外のヒントを与えてくれることがあります。

 歴史を理解するには、あるいはグローバル化の時代に海外の人を理解するには、宗教の特質も理解しなければならないことが多々あります。

 歴史や宗教、哲学など、私の専門外の分野で感じたことを経営やコンサルティングにも応用できないかと徒然に書いてまいります。

 物事や人の心には多面性があります。お届けするブログが正論であるか否かは、皆様のご判断にお任せしますが、参考にして下さいますと幸いです。

(ドアノブ)

 

 
 

 百丈懐海 禅宗独立の基礎を定めた人

 ひゃくじょう えかい
 749年(天宝8載) - 814年2月10日(元和9年1月17日)
 諡号:大智禅師 宗派:洪州宗

 中国福州長楽県の生まれ。

 西山慧照の会下で出家し、衡山の法朝律師の許で具足戒を受けました。

 その後、馬祖より嗣法し、師の没後に、洪州百丈山(江西省宜春市奉新県)に住し、はじめて、律院から独立した禅院を設立しました。禅門の規範(清規)「百丈清規(ひゃくじょうしんぎ)」という禅宗独立の基礎を定め、自給自足の体制を確立しました。

 後世、叢林開闢(そうりんかいびゃく)百丈禅師と称して尊敬を得ました。

 1月17日は、百丈大智禅師懐海の没日です。毎年この日に法会が催しされます。

 元和9年(814年)1月17日に寂し、長慶元年(821年)に大智禅師と諡されました。


Wikipedia】 百丈
 百丈懐海(ひゃくじょう えかい、749年(天宝8載) - 814年(元和9年))は、中国、南宗禅中の洪州宗の祖馬祖道一の法を継ぐ唐時代の禅僧。懐海は法諱。大智禅師と諡される。
 福建省福州長楽県の生まれ。俗姓は王氏であり、名族である太原の王氏の末裔であり、永嘉の乱の混乱を避けて、遠祖が福建に移り住んだものという。
 

(ドアノブ)


【経営コンサルタントの育成と資格付与】
 
 
 日本最古の経営コンサルタント団体・日本経営士協会とは
  


Posted by 経営士 at 13:21歴史に学ぶ経営

2019年03月27日

■【心で経営】 歴史・宗教に学ぶ経営 真盛上人 天台真盛宗の宗祖 KH36291 

■【心で経営】 歴史・宗教に学ぶ経営 真盛上人 天台真盛宗の宗祖 KH36291 
 
 日本経営士協会は、ご存知の方も多いと思いますが、戦後復興期に当時の通産省や産業界の勧奨を受け、日本公認会計士協会と母体を同じくする、日本で最初にできた経営コンサルタント団体です。
 
 会員は、それぞれ異なった専門分野を持っていますので、経営士同士が競合するというよりは、専門外の分野で補完し合っています。これを「共業・共用・共育」といっています。
 
 コンサルティングという実務を通じて、いろいろな体験をしています。その体験を通して、みなさまに情報をお届けしています。
■■【心 de 経営】 歴史・宗教に学ぶ経営シリーズのコンセプト 

 かねてより、【心 de 経営】ということを基本に、永年コンサルティングをして参りました。「de」は、フランス語の前置詞で、英語にしますと「of」に近い意味合いであり用法であると認識しています。

「de」を、英語の「of」の意味で用いますと「心 of 経営」、すなわち「経営”の”心」となります。「de」を、そのまま、日本語の「で」に置き換えますと「心で経営」となります。

「心」を大切にしますと、人間関係が良くなるだけではなく、論理的な思考だけでは見えてこないものが見えてきます。

 歴史を紐解きますと、「なぜ、主人公は、あのような決断をしたのだろうか」「もし、あのようなことをせずに、このようにしたら歴史はどのように変わったのだろうか」などと「歴史に”もし”は禁物」にも触れたくなります。

 それが、ビジネスパーソンに想定外のヒントを与えてくれることがあります。

 歴史を理解するには、あるいはグローバル化の時代に海外の人を理解するには、宗教の特質も理解しなければならないことが多々あります。

 歴史や宗教、哲学など、私の専門外の分野で感じたことを経営やコンサルティングにも応用できないかと徒然に書いてまいります。

 物事や人の心には多面性があります。お届けするブログが正論であるか否かは、皆様のご判断にお任せしますが、参考にして下さいますと幸いです。

(ドアノブ)

 

 

■ 真盛上人 天台真盛宗の宗祖

 しんせい
 嘉吉3年1月28日(1443年2月27日) - 明応4年2月30日(1495年3月26日)
 諡号は円戒国師・慈摂大師

 戦国時代の天台宗の僧で、伊勢に生まれました。天台宗真盛派(現在の天台真盛宗)の宗祖です。

 一四歳で剃髪し、幼名から「眞盛」と名を改めました。

 比叡山西塔の慶秀に師事し、天台宗の教学を20余年にわたって学びました。その後、黒谷青龍寺に隠遁し、「往生要集」に拠り称名念仏を唱えました。戒律と称名念仏の一致、無欲と慈悲などを説きました。

 かつて良源や源信などが住み、円観が円頓戒の本寺としたこともある近江国坂本の西教寺を再興して、天台宗真盛派の本寺としました。

 近江・伊勢・越前を巡錫(じゅんしゃく)し、後土御門帝に円頓戒を授け「円戒国師」の号を下賜されました。また、明治天皇より「慈摂大師」の号も賜っています。

(ドアノブ)



【経営コンサルタントの育成と資格付与】
 
 
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Posted by 経営士 at 12:01歴史に学ぶ経営

2014年12月29日

■■【歴史に学ぶ経営】 西郷隆盛の引き際と散り方

■■【歴史に学ぶ経営】 西郷隆盛の引き際と散り方

 
「原点に返る」「歴史は繰り返す」という言葉があります。歴史をひもとくと、我々に大きな示唆を与えてくれます。視点を変えると経営にも活かせることがたくさんあります。


 ところが、それに気づかないことが多いのです。皆さんの気づきの一助になればと考えてお届けします。


  西郷隆盛の引き際と散り方


 先に石田三成の引き際と散り方についてご紹介しましたが、その続きとして西郷についてみたいと思います。


 


 明治10年に、鹿児島士族の不平不満が爆発し起こった西南の役の中心人物の一人が西郷隆盛であることはご存知でしょう。これも知られているように西郷は自らの意志とは反して戦いを選択したと伝えられています。


 


 西郷は鹿児島士族に慕われ、盟友とも言われる大久保がいる明治政府に反旗を翻し南九州を中心に政府軍と激戦を繰り返します。武力・兵力に劣る西郷軍は、鹿児島市内城山に篭もらざるを得ず、最後を迎えることになります。


 


 西郷は、いかに死すかということだけが最後に残ったことでしょう。敵の砲弾の前に立った西郷は「もうここでよか」と言って自害して終わりました。西郷の必要性を知っている政府軍の中から助命嘆願の動きがあり、西郷はそれを断っての決断です。


 


 美化された最後であるかも知れませんが、日本人の多くが西郷の最後をたたえていると思います。


 


 三成が最後まで一縷の望みを捨てずにいたのに対して、西郷は潔さを選びました。どちらの生き方が良いのか、人により判断は異なるでしょう。


 


 ある中小企業の社長は、売り上げが落ちてきたので縮小均衡政策をとりました。自分の私財を投じたりしながら、資金繰りを何とかやって企業を存続させる努力をしてきました。しかし、有能な社員が次々と去って行く中、新商品開発もままならず、自分の私財を食いつぶしながら、莫大な借金を抱えて生きながらえています。


 


 この社長を三成に重ね合わせてしまいますが、社員のことを思うと倒産させられないのでしょう。この社長のような人の良い経営者を何とか生かす道はないのでしょうか。


 


  出典: e-中小企業ネットマガジン


 

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Posted by 経営士 at 12:00Comments(0)歴史に学ぶ経営

2014年09月29日

■■【歴史に学ぶ経営】 石田三成の引き際と散り方

■■【歴史に学ぶ経営】 石田三成の引き際と散り方

 
「原点に返る」「歴史は繰り返す」という言葉があります。歴史をひもとくと、我々に大きな示唆を与えてくれます。視点を変えると経営にも活かせることがたくさんあります。


 ところが、それに気づかないことが多いのです。皆さんの気づきの一助になればと考えてお届けします。

 石田三成の引き際と散り方

 

 中小企業にとって事業承継は大きな問題であり、それに関連する経営相談は後を絶たないほどです。経営士・コンサルタントの中には事業承継専門の先生もいるほどです。

 

 歴史的に見ても、みっともない幕引きをした人が多い中、独立行政法人中小企業基盤整備機構のサイトで見つけた、意外と知られていない引き際をご紹介します。

 

 石田三成というと関ヶ原の合戦での大敗であまり良い印象を持たない人も多いかも知れませんが、彼の「死ぬまでは大志に生きる」という生き方はよく知られています。

 

 ご存知のように光成は、関が原の合戦で西軍が敗れた後、すぐに自害した星群武将の中でもすくない戦場離脱組で、山中に隠れる行動をとりました。村人は彼をかくまうのですが、その村人に害がおよぶのを心配して、東軍に下ります。

 

 これを思いやりある武将とみるのか、最悪の退き際と見るのか別れるところです。

 

 家康配下の武将のなかには、「軽挙妄動して兵を挙げ、敗れても自害もせず、捕らえられて生き恥をさらす」ということに痛烈な批判の声が上がりました。これに対して 「敗れて腹を切るなどは葉武者のやること。源頼朝は石橋山の敗戦後、洞穴に身を隠した。その心がおまえにはわかるまい」と三成は返したと言います。

 

  歴史に詳しい方はご存知でしょうが、頼朝はその後、再起を果たしたのです。三成は、この頼朝の故事を引きながら「死ぬまでの間は再起を望むことこそが真の武士である」と主張したので、自害することこそが「逃げ」と考えたのでしょう。

 

 三成が処刑直前に、水を所望したのに対し、「水はないが、干し柿がある。水の代わりに柿を食せ」と言われたたが、しかし三成は「干し柿は胆の毒なのでいらない」と答えたという。死ぬ間際に毒の心配をする三成の心は、生の可能性が多少なりとも残っている状況で、最後の最後までがんばったのです。豊臣家の再興という大志をもってのことでしょう。

 

 経営は生き物と言われますから、ちょっとした失敗だけで倒産してしまうこともあれば、ちょっとした工夫で大成功に繋がることもあります。経営が苦しいからと言って、企業を投げ出しては「ゴーイングコンサーン(企業の永続性)」の基本に反することになります。頼朝や三成に学んで、最後の最後まで知恵を絞ることを諦めてはならないと思います。

 

 しかし、そうなる前に、経営者は手を打つべきです。
 

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Posted by 経営士 at 12:00Comments(0)歴史に学ぶ経営

2014年09月28日

■■【歴史に学ぶ経営】 天智天皇と遷都

■■【歴史に学ぶ経営】 天智天皇と遷都



 667年新暦417日(天智天皇6319日)に 天智天皇が近江宮に遷都した日です。天智天皇といってもピンと来ない人でも中大兄皇子(なかのおおえのおうじ)といえば知らない人もいない程です。


 中大兄皇子は乙巳の変を中臣鎌足らと起こし蘇我入鹿を暗殺するクーデターで、大化の改新をはじめ様々な改革を行いました。


 滋賀県大津市にある近江宮への遷都理由はよく判っていないようです。外国の脅威や抵抗勢力の多い飛鳥から遠いこの地を選んだとも言われています。また、大津は琵琶湖に面し、水陸の交通の要衝でもあることもその理由の一つでしょう。


 天智天皇というと大海人皇子から額田王を奪ったという話が有名ですが、これは作り話という説もあります。私は、小学校の時に水時計を持った天皇というイメージが非常に強い人です。


 革新的な発想を持った人であることは創造できますが、遷都は後に民衆から不満が出て退位に繋がったりしています。東京遷都論も、今ではあまり声を上げる人もいませんが、東日本大震災を契機に東京一極集中の危険については真剣に考える人が増えてくるでしょう。


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Posted by 経営士 at 12:00Comments(0)歴史に学ぶ経営

2014年05月30日

■■【歴史に学ぶ経営】 西郷隆盛の引き際と散り方

■■【歴史に学ぶ経営】 西郷隆盛の引き際と散り方


 「原点に返る」「歴史は繰り返す」という言葉があります。歴史をひもとくと、我々に大きな示唆を与えてくれます。視点を変えると経営にも活かせることがたくさんあります。


 ところが、それに気づかないことが多いのです。皆さんの気づきの一助になればと考えてお届けします。


■■ 西郷隆盛の引き際と散り方  歴史に学ぶ経営


 先に石田三成の引き際と散り方についてご紹介しましたが、その続きとして西郷についてみたいと思います。


 明治10年に、鹿児島士族の不平不満が爆発し起こった西南の役の中心人物の一人が西郷隆盛であることはご存知でしょう。これも知られているように西郷は自らの意志とは反して戦いを選択したと伝えられています。


 西郷は鹿児島士族に慕われ、盟友とも言われる大久保がいる明治政府に反旗を翻し南九州を中心に政府軍と激戦を繰り返します。武力・兵力に劣る西郷軍は、鹿児島市内城山に篭もらざるを得ず、最後を迎えることになります。


 西郷は、いかに死すかということだけが最後に残ったことでしょう。敵の砲弾の前に立った西郷は「もうここでよか」と言って自害して終わりました。西郷の必要性を知っている政府軍の中から助命嘆願の動きがあり、西郷はそれを断っての決断です。


 美化された最後であるかも知れませんが、日本人の多くが西郷の最後をたたえていると思います。


 三成が最後まで一縷の望みを捨てずにいたのに対して、西郷は潔さを選びました。どちらの生き方が良いのか、人により判断は異なるでしょう。


 ある中小企業の社長は、売り上げが落ちてきたので縮小均衡政策をとりました。自分の私財を投じたりしながら、資金繰りを何とかやって企業を存続させる努力をしてきました。しかし、有能な社員が次々と去って行く中、新商品開発もままならず、自分の私財を食いつぶしながら、莫大な借金を抱えて生きながらえています。


 この社長を三成に重ね合わせてしまいますが、社員のことを思うと倒産させられないのでしょう。この社長のような人の良い経営者を何とか生かす道はないのでしょうか。


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Posted by 経営士 at 08:28Comments(0)歴史に学ぶ経営

2014年04月30日

■■【歴史に学ぶ経営】 大阪の行政が問われる 

■■【歴史に学ぶ経営】 大阪の行政が問われる 


 「原点に返る」「歴史は繰り返す」という言葉があります。歴史をひもとくと、我々に大きな示唆を与えてくれます。視点を変えると経営にも活かせることがたくさんあります。


 ところが、それに気づかないことが多いのです。皆さんの気づきの一助になればと考えてお届けします。


■大阪の行政が問われる


 大阪の行政のあり方が問われそうです。


 初めて大阪の御堂筋を目にした時、広い道幅、それにこの道が一方通行なのに驚かされました。


 その昔、「大阪を経済で日本一にし、東京を従えさせる」と言って闘い続けた市長がいます。


 関一(せき はじめ)。明治6年、幕臣の家に生まれ、20代の頃、ヨーロッパに留学もしています。その際、開業後3週間のパリの地下鉄に乗ったことが、後の人生に大きく影響します。


 42歳で大阪市助役になると、大正7年の米騒動では、市設市場を設置し、安く米を提供。6日で沈静化させました。また、単身労働者や失業者のための簡易宿泊所や託児所、児童相談所を創設していきました。


 市長になった大正12年以降は、中央市場の開設、大阪城天守閣の再建、現在の大阪市立大学の開校。そして、御堂筋の拡張と日本初の市営地下鉄である御堂筋線の開通を同時に成し遂げました。


 この時に大阪の大動脈である御堂筋は、それまでの道幅が6.3mだったのが43.6mになりました。


 昭和9年、室戸台風が西日本を襲い、復旧復興に全力をあげている最中の翌昭和10126日、病気で現役市長のまま、この世を去りました。直前には多くの市民や労働者が見舞の電報を送り、神社に回復祈願をしたそうです。


 関市長が助役時代にこんな言葉を残しています。


 「上を見て、煙突を数えるだけでなく、労働者・市民の状態を見よ」


  資料出典: J-NET21


  


Posted by 経営士 at 12:00Comments(0)歴史に学ぶ経営

2014年01月31日

■■【歴史に学ぶ経営】 三成の引き際と散り方

■■【歴史に学ぶ経営】 三成の引き際と散り方


 「原点に返る」「歴史は繰り返す」という言葉があります。歴史をひもとくと、我々に大きな示唆を与えてくれます。視点を変えると経営にも活かせることがたくさんあります。


 ところが、それに気づかないことが多いのです。皆さんの気づきの一助になればと考えてお届けします。


■ 石田三成の引き際と散り方


 中小企業にとって事業承継は大きな問題であり、それに関連する経営相談は後を絶たないほどです。経営士・コンサルタントの中には事業承継専門の先生もいるほどです。


 歴史的に見ても、みっともない幕引きをした人が多い中、独立行政法人中小企業基盤整備機構のサイトで見つけた、意外と知られていない引き際をご紹介します。


 石田三成というと関ヶ原の合戦での大敗であまり良い印象を持たない人も多いかも知れませんが、彼の「死ぬまでは大志に生きる」という生き方はよく知られています。


 ご存知のように光成は、関が原の合戦で西軍が敗れた後、すぐに自害した星群武将の中でもすくない戦場離脱組で、山中に隠れる行動をとりました。村人は彼をかくまうのですが、その村人に害がおよぶのを心配して、東軍に下ります。


 これを思いやりある武将とみるのか、最悪の退き際と見るのか別れるところです。


 家康配下の武将のなかには、「軽挙妄動して兵を挙げ、敗れても自害もせず、捕らえられて生き恥をさらす」ということに痛烈な批判の声が上がりました。これに対して 「敗れて腹を切るなどは葉武者のやること。源頼朝は石橋山の敗戦後、洞穴に身を隠した。その心がおまえにはわかるまい」と三成は返したと言います。


  歴史に詳しい方はご存知でしょうが、頼朝はその後、再起を果たしたのです。三成は、この頼朝の故事を引きながら「死ぬまでの間は再起を望むことこそが真の武士である」と主張したので、自害することこそが「逃げ」と考えたのでしょう。


 三成が処刑直前に、水を所望したのに対し、「水はないが、干し柿がある。水の代わりに柿を食せ」と言われたたが、しかし三成は「干し柿は胆の毒なのでいらない」と答えたという。死ぬ間際に毒の心配をする三成の心は、生の可能性が多少なりとも残っている状況で、最後の最後までがんばったのです。豊臣家の再興という大志をもってのことでしょう。


 経営は生き物と言われますから、ちょっとした失敗だけで倒産してしまうこともあれば、ちょっとした工夫で大成功に繋がることもあります。経営が苦しいからと言って、企業を投げ出しては「ゴーイングコンサーン(企業の永続性)」の基本に反することになります。頼朝や三成に学んで、最後の最後まで知恵を絞ることを諦めてはならないと思います。


 しかし、そうなる前に、経営者は手を打つべきです。


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Posted by 経営士 at 09:27Comments(0)歴史に学ぶ経営