2014年12月11日

■■【今日の写真 カシャリ!一人旅】神奈川県横浜市 三溪園1

■■【今日の写真 カシャリ!一人旅】神奈川県横浜市 三溪園1





 旅・・・・・ 時間に追われる現実からの開放 
 
 スナップショットは、他の人の旅を疑似体験できます。 この写真を撮った人は、何を思って撮影したのだろうか?
 
 自分も行ってみたい・・・ 他の人に、そう思っていただける写真が撮れたら最高ですね。

 神奈川県 横浜市 

 三溪園


http://www.sankeien.or.jp/history/index.html
 三溪園は、神奈川県横浜市中区本牧三之谷58-1にあります本格的な日本庭園です。生糸貿易により財を成した実業家であります原三溪(はら・さんけい1868-1939)によって、1906年(明治39)5月1日に公開されました。175,000m2に及ぶ園内には京都や鎌倉などから移築された歴史的に価値の高い建造物が巧みに配置されています。それらの中には重要文化財や横浜市指定有形文化財も含まれています。 三溪が存命中は、新進芸術家の育成と支援の場でもありました。前田青邨の「神輿振」、横山大観の「柳蔭」、下村観山の「弱法師」など近代日本画を代表する多くの作品が園内で生まれました。その後、戦災により大きな被害をうけ、1953年(昭和28年)、原家から横浜市に譲渡・寄贈されるのを機に、財団法人三溪園保勝会が設立され、復旧工事を実施し現在に至ります。(園内地図
 原三溪(本名富太郎)は、岐阜県厚見郡佐波村(現在の岐阜県岐阜市柳津町)で代々に渡り、庄屋をつとめた青木家の長男として生まれました。1885年(明治18)に東京専門学校(現在の早稲田大学)に入学、政治・法律を学びました。跡見学校の助教師になり、教え子であった原善三郎の孫娘、屋寿と結婚し、原家に入籍しました。 原家の家業を継ぐと、生糸輸出を始めるなどの経営の近代化と国際化に力を入れ、実業家として成功を収めました。実業家以外にも三溪園を無料開園したり、美術品の蒐集や芸術家の支援・育成を行いました。
(以上 三溪園Webサイトより作成)
【アクセス】 横浜駅東口2番乗り場《市バス8・148系統急行》約35分。桜道または本牧三溪園前バス停で下車して徒歩5分。入園料:500円 催しものがあるときには、自販機ではなく、受付でセット券を購入すると割引になります。
大  池
ボートが一隻、ポツン三渓記念館を臨む三溪記念館では、三溪園の創設者・原三溪に関する資料やゆかりの作家作品や美術工芸品、臨春閣の障壁画などが展示されています。特別展などの催し会場にもなります。

鶴翔閣

楽室棟、茶の間棟、客間棟から構成され、結婚式などに利用できます。上空から見ますと鶴が飛び立つ様を思わせることから、この名がつけられました。
蓮花亭を鶴翔閣前の池越しに臨む。 手前の松は芸術的な造形です。
蓮花亭を鶴翔閣前の池越しに臨む。
大池に浮かぶ蓮花亭と観心橋

蓮花亭の左の橋は、観心橋

 神奈川県横浜市 三溪園1  大池 三溪園の建物 
 神奈川県横浜市 三溪園2 白雲亭 月華殿・天授院 
 神奈川県横浜市 三溪園3 臨春閣
 神奈川県横浜市 三溪園4  旧天瑞寺 春草廬  旧燈明寺三重塔 三渓記念館
  


2014年12月10日

■■【今日の写真 カシャリ!一人旅】神奈川県横浜市 三溪園2

■■【今日の写真 カシャリ!一人旅】神奈川県横浜市 三溪園2





 旅・・・・・ 時間に追われる現実からの開放 
 
 スナップショットは、他の人の旅を疑似体験できます。 この写真を撮った人は、何を思って撮影したのだろうか?
 
 自分も行ってみたい・・・ 他の人に、そう思っていただける写真が撮れたら最高ですね。

 神奈川県 横浜市 

 三溪園

http://www.sankeien.or.jp/history/index.html


 三溪園は、神奈川県横浜市中区本牧三之谷58-1にあります本格的な日本庭園です。生糸貿易により財を成した実業家であります原三溪(はら・さんけい1868-1939)によって、1906年(明治39)5月1日に公開されました。175,000m2に及ぶ園内には京都や鎌倉などから移築された歴史的に価値の高い建造物が巧みに配置されています。それらの中には重要文化財や横浜市指定有形文化財も含まれています。

 三溪が存命中は、新進芸術家の育成と支援の場でもありました。前田青邨の「神輿振」、横山大観の「柳蔭」、下村観山の「弱法師」など近代日本画を代表する多くの作品が園内で生まれました。その後、戦災により大きな被害をうけ、1953年(昭和28年)、原家から横浜市に譲渡・寄贈されるのを機に、財団法人三溪園保勝会が設立され、復旧工事を実施し現在に至ります。(園内地図

 原三溪(本名富太郎)は、岐阜県厚見郡佐波村(現在の岐阜県岐阜市柳津町)で代々に渡り、庄屋をつとめた青木家の長男として生まれました。1885年(明治18)に東京専門学校(現在の早稲田大学)に入学、政治・法律を学びました。跡見学校の助教師になり、教え子であった原善三郎の孫娘、屋寿と結婚し、原家に入籍しました。 原家の家業を継ぐと、生糸輸出を始めるなどの経営の近代化と国際化に力を入れ、実業家として成功を収めました。実業家以外にも三溪園を無料開園したり、美術品の蒐集や芸術家の支援・育成を行いました。
(以上 三溪園Webサイトより作成)
三溪園の建物
          鶴翔閣 1902年(明治35年)三溪が建てました旧原家住宅で、ここから三溪園の造成が始まりました。今日では横浜市指定有形文化財にしていされています貸出施設です。大規模な日本間や広大な前庭を有し、茶会、句会などの日本的文化活動の場はもとより、国内外の賓客接遇、結婚披露宴、演奏会や展示会など、幅広い用途に利用されています。 広さ290坪に及ぶこの住宅は、主に、楽室棟、茶の間棟、客間棟から構成されています。上空から見た形が鶴の飛翔に見えることからこの名が付けられました。 鶴翔閣には、日本を代表する政治家や文学者が集い、横山大観、下村観山といった日本美術院の画家が創作活動のために滞在しました。今村紫紅もその一人です。(三溪園公式サイトを参照して作成)

鶴翔閣

楽室棟、茶の間棟、客間棟から構成され、結婚式などに利用できます。上空から見ますと鶴が飛び立つ様を思わせることから、この名がつけられました。

御門

[市指定有形文化財]京都東山の西方寺にあった薬医門を移築
京都のお寺にありましたもんを移築したのですから当然のことですが、お寺の雰囲気を醸し出しています。

正面奥が白雲亭です。

 神奈川県横浜市 三溪園1  大池 三溪園の建物 
 神奈川県横浜市 三溪園2 白雲亭 月華殿・天授院 
 神奈川県横浜市 三溪園3 臨春閣
 神奈川県横浜市 三溪園4  旧天瑞寺 春草廬  旧燈明寺三重塔 三渓記念館


  


2014年12月08日

■■【今日の写真 カシャリ!一人旅】神奈川県横浜市 三溪園3

■■【今日の写真 カシャリ!一人旅】神奈川県横浜市 三溪園3





 旅・・・・・ 時間に追われる現実からの開放 
 
 スナップショットは、他の人の旅を疑似体験できます。 この写真を撮った人は、何を思って撮影したのだろうか?
 
 自分も行ってみたい・・・ 他の人に、そう思っていただける写真が撮れたら最高ですね。

 神奈川県 横浜市 

 三溪園

http://www.sankeien.or.jp/history/index.html


 三溪園は、神奈川県横浜市中区本牧三之谷58-1にあります本格的な日本庭園です。生糸貿易により財を成した実業家であります原三溪(はら・さんけい1868-1939)によって、1906年(明治39)5月1日に公開されました。175,000m2に及ぶ園内には京都や鎌倉などから移築された歴史的に価値の高い建造物が巧みに配置されています。それらの中には重要文化財や横浜市指定有形文化財も含まれています。

 三溪が存命中は、新進芸術家の育成と支援の場でもありました。前田青邨の「神輿振」、横山大観の「柳蔭」、下村観山の「弱法師」など近代日本画を代表する多くの作品が園内で生まれました。その後、戦災により大きな被害をうけ、1953年(昭和28年)、原家から横浜市に譲渡・寄贈されるのを機に、財団法人三溪園保勝会が設立され、復旧工事を実施し現在に至ります。(園内地図

 原三溪(本名富太郎)は、岐阜県厚見郡佐波村(現在の岐阜県岐阜市柳津町)で代々に渡り、庄屋をつとめた青木家の長男として生まれました。1885年(明治18)に東京専門学校(現在の早稲田大学)に入学、政治・法律を学びました。跡見学校の助教師になり、教え子であった原善三郎の孫娘、屋寿と結婚し、原家に入籍しました。 原家の家業を継ぐと、生糸輸出を始めるなどの経営の近代化と国際化に力を入れ、実業家として成功を収めました。実業家以外にも三溪園を無料開園したり、美術品の蒐集や芸術家の支援・育成を行いました。

(以上 三溪園Webサイトより作成)

白雲亭

白雲邸

[市指定有形文化財]
 1920(大正9)年に建築され、鶴翔閣から移り、亡くなるまでのおよそ20年を夫人と共に過ごした住まいです。 自らの着想で同郷の大工であります山田源市に建てさせました。臨春閣と呼応するようL字型の間取りで中庭を作り、内苑の古建築と総合的に計画されています。吟味された材料と伝統工法に基づいた数寄屋風のつくりは、鶴翔閣と同じく和風のライフスタイルを貫いた原三溪の木造建築への深い理解が読み取れますが、椅子・テーブル席となる談話室や屋根の構造など、近代的要素を和風建築へ導入する試みもみられます。 内向きの住まいとして全体的に落ち着いた佇まいですが、夫妻それぞれの書院は名木・螺鈿をあしらい、個人的な部分に手の込んだ意匠を施しています。(公式サイトを参照して作成)
御門から臨む白雲亭
身代わり灯籠利休が刺客に襲われた際に、刀がこの灯籠にあたったために利休は命拾いをしたといわれています。
身代わり灯籠利休が刺客に襲われたときにこの灯籠が身代わりとなり灯籠の血が析出しているので赤いといわれています。
白雲亭を飾る老楓
白雲亭を裏手から見るここに降り立ちましたら、元に戻れないので注意しましょう。

白雲亭裏にひっそりとたたずむ石灯籠なぜか明かり取りの窓がありません。

 神奈川県横浜市 三溪園1  大池 三溪園の建物 
 神奈川県横浜市 三溪園2 白雲亭 月華殿・天授院 
 神奈川県横浜市 三溪園3 臨春閣
 神奈川県横浜市 三溪園4  旧天瑞寺 春草廬  旧燈明寺三重塔 三渓記念館


  


2014年12月07日

■■【今日の写真 カシャリ!一人旅】神奈川県横浜市 三溪園4

■■【今日の写真 カシャリ!一人旅】神奈川県横浜市 三溪園4





 旅・・・・・ 時間に追われる現実からの開放 
 
 スナップショットは、他の人の旅を疑似体験できます。 この写真を撮った人は、何を思って撮影したのだろうか?
 
 自分も行ってみたい・・・ 他の人に、そう思っていただける写真が撮れたら最高ですね。

 神奈川県 横浜市 

 三溪園

http://www.sankeien.or.jp/history/index.html


 三溪園は、神奈川県横浜市中区本牧三之谷58-1にあります本格的な日本庭園です。生糸貿易により財を成した実業家であります原三溪(はら・さんけい1868-1939)によって、1906年(明治39)5月1日に公開されました。175,000m2に及ぶ園内には京都や鎌倉などから移築された歴史的に価値の高い建造物が巧みに配置されています。それらの中には重要文化財や横浜市指定有形文化財も含まれています。

 三溪が存命中は、新進芸術家の育成と支援の場でもありました。前田青邨の「神輿振」、横山大観の「柳蔭」、下村観山の「弱法師」など近代日本画を代表する多くの作品が園内で生まれました。その後、戦災により大きな被害をうけ、1953年(昭和28年)、原家から横浜市に譲渡・寄贈されるのを機に、財団法人三溪園保勝会が設立され、復旧工事を実施し現在に至ります。(園内地図

 原三溪(本名富太郎)は、岐阜県厚見郡佐波村(現在の岐阜県岐阜市柳津町)で代々に渡り、庄屋をつとめた青木家の長男として生まれました。1885年(明治18)に東京専門学校(現在の早稲田大学)に入学、政治・法律を学びました。跡見学校の助教師になり、教え子であった原善三郎の孫娘、屋寿と結婚し、原家に入籍しました。 原家の家業を継ぐと、生糸輸出を始めるなどの経営の近代化と国際化に力を入れ、実業家として成功を収めました。実業家以外にも三溪園を無料開園したり、美術品の蒐集や芸術家の支援・育成を行いました。

(以上 三溪園Webサイトより作成)

月華殿と天授院

月華殿

[重要文化財]
  1603年(慶長8年)に、初代徳川家康により、京都伏見城内に建てられたものといわれる建物を、1918年(大正7年)に春草廬と共に移築されました。三溪が建てた金毛窟とつながっています。 非公開の障壁画は、桃山時代の画家 海北友松(かいほうゆうしょう)によるものと伝えられています。(公式サイトを参照して作成)
白雲亭裏から右手に登りきったところに月華殿があります。

金毛窟

 1918年(大正7年)に、三溪が建てた一畳台目(いちじょうだいめ)の極小の茶室があります。 金毛窟という名は、床柱に京都大徳寺の山門であります金毛閣の高欄の架木を使用していることにちなみます。(公式サイトを参照して作成)
金毛窟
金毛窟奥に見えるのが一畳台目茶室
月華殿と金毛窟の間に立つ石灯籠

天授院

[重要文化財] 1651年(慶安4年)建築され、もともとは、建長寺の近くにあった心平寺の地蔵堂です。1916年(大正5年)に現地に移築されました。建築様式は禅宗様を主体としています。 三溪園では、原家の持仏堂とされました。(公式サイトを参照して作成)
天授院 [重要文化財]

春草廬

[重要文化財]桃山時代の建築で、三畳台目の小間茶室は、織田有楽斎の作品と伝えられています。茶室内に九つの窓があることから、かつて"九窓亭"と呼ばれていました。多くの窓を持つもので、華やかな茶室です。 (公式サイトを参照して作成)
 神奈川県横浜市 三溪園1  大池 三溪園の建物 
 神奈川県横浜市 三溪園2 白雲亭 月華殿・天授院 
 神奈川県横浜市 三溪園3 臨春閣
 神奈川県横浜市 三溪園4  旧天瑞寺 春草廬  旧燈明寺三重塔 三渓記念館


  


2014年12月06日

■■【今日の写真 カシャリ!一人旅】神奈川県横浜市 三溪園5

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 旅・・・・・ 時間に追われる現実からの開放 
 
 スナップショットは、他の人の旅を疑似体験できます。 この写真を撮った人は、何を思って撮影したのだろうか?
 
 自分も行ってみたい・・・ 他の人に、そう思っていただける写真が撮れたら最高ですね。

 神奈川県 横浜市 

 三溪園

http://www.sankeien.or.jp/history/index.html


 三溪園は、神奈川県横浜市中区本牧三之谷58-1にあります本格的な日本庭園です。生糸貿易により財を成した実業家であります原三溪(はら・さんけい1868-1939)によって、1906年(明治39)5月1日に公開されました。175,000m2に及ぶ園内には京都や鎌倉などから移築された歴史的に価値の高い建造物が巧みに配置されています。それらの中には重要文化財や横浜市指定有形文化財も含まれています。

 三溪が存命中は、新進芸術家の育成と支援の場でもありました。前田青邨の「神輿振」、横山大観の「柳蔭」、下村観山の「弱法師」など近代日本画を代表する多くの作品が園内で生まれました。その後、戦災により大きな被害をうけ、1953年(昭和28年)、原家から横浜市に譲渡・寄贈されるのを機に、財団法人三溪園保勝会が設立され、復旧工事を実施し現在に至ります。(園内地図

 原三溪(本名富太郎)は、岐阜県厚見郡佐波村(現在の岐阜県岐阜市柳津町)で代々に渡り、庄屋をつとめた青木家の長男として生まれました。1885年(明治18)に東京専門学校(現在の早稲田大学)に入学、政治・法律を学びました。跡見学校の助教師になり、教え子であった原善三郎の孫娘、屋寿と結婚し、原家に入籍しました。 原家の家業を継ぐと、生糸輸出を始めるなどの経営の近代化と国際化に力を入れ、実業家として成功を収めました。実業家以外にも三溪園を無料開園したり、美術品の蒐集や芸術家の支援・育成を行いました。

(以上 三溪園Webサイトより作成)

臨春閣 1
 桃山時代、豊臣秀吉が建てた聚楽第の遺構と伝えられていましたが、現在では和歌山県岩出市にあった紀州徳川家の別荘である「巌出御殿(いわでごてん)」ではないかと考えられています。1649年(慶安2年)に建築されました。 内部は狩野派を中心とする障壁画と繊細・精巧な数寄屋風書院造りの意匠を随所に見ることができます。 部屋の境にある欄間には、波の彫刻(第一屋)や、和歌を書いた色紙(第二屋)をはめ込むなどの工夫が凝らされています。 なかでも面白いのは、第三屋「天楽の間」にある欄間で、ここには、雅楽に馴染み深い笙と笛など本物の楽器があしらわれています。 紀州から徳川家8代将軍となった徳川吉宗は幼少期、巌出御殿に遊び育ちました。 【 注 】障壁画は複製画で、原本は園内の三溪記念館で収蔵し定期的に展示を行っています。
三渓記念館側から臨む臨春閣
京都の高台寺を真似て作られた亭?(ていしゃ)と命名された屋根のついた橋が見えます。
右に臨春閣、中央左に亭?が見えます。
 神奈川県横浜市 三溪園1  大池 三溪園の建物 
 神奈川県横浜市 三溪園2 白雲亭 月華殿・天授院 
 神奈川県横浜市 三溪園3 臨春閣
 神奈川県横浜市 三溪園4  旧天瑞寺 春草廬  旧燈明寺三重塔 三渓記念館


  


2014年12月05日

■■【今日の写真 カシャリ!一人旅】神奈川県横浜市 三溪園6

■■【今日の写真 カシャリ!一人旅】神奈川県横浜市 三溪園6





 旅・・・・・ 時間に追われる現実からの開放 
 
 スナップショットは、他の人の旅を疑似体験できます。 この写真を撮った人は、何を思って撮影したのだろうか?
 
 自分も行ってみたい・・・ 他の人に、そう思っていただける写真が撮れたら最高ですね。

 神奈川県 横浜市 

 三溪園

http://www.sankeien.or.jp/history/index.html


 三溪園は、神奈川県横浜市中区本牧三之谷58-1にあります本格的な日本庭園です。生糸貿易により財を成した実業家であります原三溪(はら・さんけい1868-1939)によって、1906年(明治39)5月1日に公開されました。175,000m2に及ぶ園内には京都や鎌倉などから移築された歴史的に価値の高い建造物が巧みに配置されています。それらの中には重要文化財や横浜市指定有形文化財も含まれています。

 三溪が存命中は、新進芸術家の育成と支援の場でもありました。前田青邨の「神輿振」、横山大観の「柳蔭」、下村観山の「弱法師」など近代日本画を代表する多くの作品が園内で生まれました。その後、戦災により大きな被害をうけ、1953年(昭和28年)、原家から横浜市に譲渡・寄贈されるのを機に、財団法人三溪園保勝会が設立され、復旧工事を実施し現在に至ります。(園内地図

 原三溪(本名富太郎)は、岐阜県厚見郡佐波村(現在の岐阜県岐阜市柳津町)で代々に渡り、庄屋をつとめた青木家の長男として生まれました。1885年(明治18)に東京専門学校(現在の早稲田大学)に入学、政治・法律を学びました。跡見学校の助教師になり、教え子であった原善三郎の孫娘、屋寿と結婚し、原家に入籍しました。 原家の家業を継ぐと、生糸輸出を始めるなどの経営の近代化と国際化に力を入れ、実業家として成功を収めました。実業家以外にも三溪園を無料開園したり、美術品の蒐集や芸術家の支援・育成を行いました。

(以上 三溪園Webサイトより作成)

臨春閣 2
1649年(慶安2年)に建築されました臨春閣は、和歌山県岩出市にありました紀州徳川家の別荘「巌出御殿(いわでごてん)」が移築されたものと言われています。
大池に影を映す臨春閣
亭?から見る臨春閣手入れの行き届いた松が、 雰囲気を高めています。
臨春閣の二階は、一般には開放していませんがおそらくそこから池越しに見る景色は きっと素晴らしいでしょう。
聴秋閣の前から見る臨春閣その右手前に、屋根のついた橋「亭?」の 脚が見えます。
 神奈川県横浜市 三溪園1  大池 三溪園の建物 
 神奈川県横浜市 三溪園2 白雲亭 月華殿・天授院 
 神奈川県横浜市 三溪園3 臨春閣
 神奈川県横浜市 三溪園4  旧天瑞寺 春草廬  旧燈明寺三重塔 三渓記念館


  


2014年12月04日

■■【今日の写真 カシャリ!一人旅】神奈川県横浜市 三溪園7

■■【今日の写真 カシャリ!一人旅】神奈川県横浜市 三溪園7





 旅・・・・・ 時間に追われる現実からの開放 
 
 スナップショットは、他の人の旅を疑似体験できます。 この写真を撮った人は、何を思って撮影したのだろうか?
 
 自分も行ってみたい・・・ 他の人に、そう思っていただける写真が撮れたら最高ですね。

 神奈川県 横浜市 

 三溪園

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 三溪園は、神奈川県横浜市中区本牧三之谷58-1にあります本格的な日本庭園です。生糸貿易により財を成した実業家であります原三溪(はら・さんけい1868-1939)によって、1906年(明治39)5月1日に公開されました。175,000m2に及ぶ園内には京都や鎌倉などから移築された歴史的に価値の高い建造物が巧みに配置されています。それらの中には重要文化財や横浜市指定有形文化財も含まれています。

 三溪が存命中は、新進芸術家の育成と支援の場でもありました。前田青邨の「神輿振」、横山大観の「柳蔭」、下村観山の「弱法師」など近代日本画を代表する多くの作品が園内で生まれました。その後、戦災により大きな被害をうけ、1953年(昭和28年)、原家から横浜市に譲渡・寄贈されるのを機に、財団法人三溪園保勝会が設立され、復旧工事を実施し現在に至ります。(園内地図

 原三溪(本名富太郎)は、岐阜県厚見郡佐波村(現在の岐阜県岐阜市柳津町)で代々に渡り、庄屋をつとめた青木家の長男として生まれました。1885年(明治18)に東京専門学校(現在の早稲田大学)に入学、政治・法律を学びました。跡見学校の助教師になり、教え子であった原善三郎の孫娘、屋寿と結婚し、原家に入籍しました。 原家の家業を継ぐと、生糸輸出を始めるなどの経営の近代化と国際化に力を入れ、実業家として成功を収めました。実業家以外にも三溪園を無料開園したり、美術品の蒐集や芸術家の支援・育成を行いました。

(以上 三溪園Webサイトより作成)

臨春閣 3
臨春閣は、秀吉が建てた聚楽第の遺構と伝えられていましたが、紀州徳川家の別荘「巌出御殿(いわでごてん)」ではないかという説が有力です。
(ていしゃ:屋根付きの橋)を左に、臨春閣を見る。 枝振りの良い木がたくさん見えます。
池越しの臨春閣
すすきも、他の花や木と同様に 存在感があります。
すすきと臨春閣全景
すすきの配置が、 臨春閣を引き立てています。
 神奈川県横浜市 三溪園1  大池 三溪園の建物 
 神奈川県横浜市 三溪園2 白雲亭 月華殿・天授院 
 神奈川県横浜市 三溪園3 臨春閣
 神奈川県横浜市 三溪園4  旧天瑞寺 春草廬  旧燈明寺三重塔 三渓記念館


  


2014年12月04日

■■【今日の写真 カシャリ!一人旅】神奈川県横浜市 三溪園8

■■【今日の写真 カシャリ!一人旅】神奈川県横浜市 三溪園8





 旅・・・・・ 時間に追われる現実からの開放 
 
 スナップショットは、他の人の旅を疑似体験できます。 この写真を撮った人は、何を思って撮影したのだろうか?
 
 自分も行ってみたい・・・ 他の人に、そう思っていただける写真が撮れたら最高ですね。

 神奈川県 横浜市 

 三溪園

http://www.sankeien.or.jp/history/index.html


 三溪園は、神奈川県横浜市中区本牧三之谷58-1にあります本格的な日本庭園です。生糸貿易により財を成した実業家であります原三溪(はら・さんけい1868-1939)によって、1906年(明治39)5月1日に公開されました。175,000m2に及ぶ園内には京都や鎌倉などから移築された歴史的に価値の高い建造物が巧みに配置されています。それらの中には重要文化財や横浜市指定有形文化財も含まれています。

 三溪が存命中は、新進芸術家の育成と支援の場でもありました。前田青邨の「神輿振」、横山大観の「柳蔭」、下村観山の「弱法師」など近代日本画を代表する多くの作品が園内で生まれました。その後、戦災により大きな被害をうけ、1953年(昭和28年)、原家から横浜市に譲渡・寄贈されるのを機に、財団法人三溪園保勝会が設立され、復旧工事を実施し現在に至ります。(園内地図

 原三溪(本名富太郎)は、岐阜県厚見郡佐波村(現在の岐阜県岐阜市柳津町)で代々に渡り、庄屋をつとめた青木家の長男として生まれました。1885年(明治18)に東京専門学校(現在の早稲田大学)に入学、政治・法律を学びました。跡見学校の助教師になり、教え子であった原善三郎の孫娘、屋寿と結婚し、原家に入籍しました。 原家の家業を継ぐと、生糸輸出を始めるなどの経営の近代化と国際化に力を入れ、実業家として成功を収めました。実業家以外にも三溪園を無料開園したり、美術品の蒐集や芸術家の支援・育成を行いました。

(以上 三溪園Webサイトより作成)

(ていしゃ)
屋根のついた橋の名前です。謝罪の「謝」という漢字の偏を木偏にした文字で当用漢字にはありません。この字は「屋根のある台」という意味で、
あずまやや見晴らし台を指します。

聴秋閣

から、臨春閣を背景に見る
臨春閣から見る
臨春閣の欄干とひさしを額に見る
臨春閣から遠望する
臨春閣から見る

春草廬

前から臨春閣方向を見る
臨春閣を背景に見る
 神奈川県横浜市 三溪園1  大池 三溪園の建物 
 神奈川県横浜市 三溪園2 白雲亭 月華殿・天授院 
 神奈川県横浜市 三溪園3 臨春閣
 神奈川県横浜市 三溪園4  旧天瑞寺 春草廬  旧燈明寺三重塔 三渓記念館


  


2014年12月04日

■■【今日の写真 カシャリ!一人旅】神奈川県横浜市 三溪園9

■■【今日の写真 カシャリ!一人旅】神奈川県横浜市 三溪園9





 旅・・・・・ 時間に追われる現実からの開放 
 
 スナップショットは、他の人の旅を疑似体験できます。 この写真を撮った人は、何を思って撮影したのだろうか?
 
 自分も行ってみたい・・・ 他の人に、そう思っていただける写真が撮れたら最高ですね。

 神奈川県 横浜市 

 三溪園

http://www.sankeien.or.jp/history/index.html


 三溪園は、神奈川県横浜市中区本牧三之谷58-1にあります本格的な日本庭園です。生糸貿易により財を成した実業家であります原三溪(はら・さんけい1868-1939)によって、1906年(明治39)5月1日に公開されました。175,000m2に及ぶ園内には京都や鎌倉などから移築された歴史的に価値の高い建造物が巧みに配置されています。それらの中には重要文化財や横浜市指定有形文化財も含まれています。

 三溪が存命中は、新進芸術家の育成と支援の場でもありました。前田青邨の「神輿振」、横山大観の「柳蔭」、下村観山の「弱法師」など近代日本画を代表する多くの作品が園内で生まれました。その後、戦災により大きな被害をうけ、1953年(昭和28年)、原家から横浜市に譲渡・寄贈されるのを機に、財団法人三溪園保勝会が設立され、復旧工事を実施し現在に至ります。(園内地図

 原三溪(本名富太郎)は、岐阜県厚見郡佐波村(現在の岐阜県岐阜市柳津町)で代々に渡り、庄屋をつとめた青木家の長男として生まれました。1885年(明治18)に東京専門学校(現在の早稲田大学)に入学、政治・法律を学びました。跡見学校の助教師になり、教え子であった原善三郎の孫娘、屋寿と結婚し、原家に入籍しました。 原家の家業を継ぐと、生糸輸出を始めるなどの経営の近代化と国際化に力を入れ、実業家として成功を収めました。実業家以外にも三溪園を無料開園したり、美術品の蒐集や芸術家の支援・育成を行いました。

(以上 三溪園Webサイトより作成)

旧天瑞寺の建造物いろいろ
三溪園には、日本各地から移築した建物が処々に配はいされています。
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旧天瑞寺寿塔覆堂

 旧天瑞寺寿塔覆堂は【重要文化財】で、1591年(天正19年)に、豊臣秀吉が母のために建てた寿塔を覆うための建物です。秀吉が建てたものと確認できる数少ないもののひとつです。 因みに、寿塔とは、長寿を祝って生存中にたてる墓で、現在、寿塔は京都大徳寺内の龍翔寺にあります。 迦陵頻迦(かりょうびんが)や蓮の花などの彫りの深い装飾、そりあがった屋根は、荘厳さを感じさせます。 (公式サイトを参照して作成)
旧天瑞寺寿塔覆堂前の石灯籠
旧天瑞寺寿塔覆堂前から 臨春閣を臨む
園内には各処に石灯籠が配されています。

蓮華院 近くの竹林

 神奈川県横浜市 三溪園1  大池 三溪園の建物 
 神奈川県横浜市 三溪園2 白雲亭 月華殿・天授院 
 神奈川県横浜市 三溪園3 臨春閣
 神奈川県横浜市 三溪園4  旧天瑞寺 春草廬  旧燈明寺三重塔 三渓記念館


  


2014年12月04日

■■【今日の写真 カシャリ!一人旅】神奈川県横浜 三溪園10

■■【今日の写真 カシャリ!一人旅】神奈川県横浜 三溪園10





 旅・・・・・ 時間に追われる現実からの開放 
 
 スナップショットは、他の人の旅を疑似体験できます。 この写真を撮った人は、何を思って撮影したのだろうか?
 
 自分も行ってみたい・・・ 他の人に、そう思っていただける写真が撮れたら最高ですね。

 神奈川県 横浜市 

 三溪園

http://www.sankeien.or.jp/history/index.html


 三溪園は、神奈川県横浜市中区本牧三之谷58-1にあります本格的な日本庭園です。生糸貿易により財を成した実業家であります原三溪(はら・さんけい1868-1939)によって、1906年(明治39)5月1日に公開されました。175,000m2に及ぶ園内には京都や鎌倉などから移築された歴史的に価値の高い建造物が巧みに配置されています。それらの中には重要文化財や横浜市指定有形文化財も含まれています。

 三溪が存命中は、新進芸術家の育成と支援の場でもありました。前田青邨の「神輿振」、横山大観の「柳蔭」、下村観山の「弱法師」など近代日本画を代表する多くの作品が園内で生まれました。その後、戦災により大きな被害をうけ、1953年(昭和28年)、原家から横浜市に譲渡・寄贈されるのを機に、財団法人三溪園保勝会が設立され、復旧工事を実施し現在に至ります。(園内地図

 原三溪(本名富太郎)は、岐阜県厚見郡佐波村(現在の岐阜県岐阜市柳津町)で代々に渡り、庄屋をつとめた青木家の長男として生まれました。1885年(明治18)に東京専門学校(現在の早稲田大学)に入学、政治・法律を学びました。跡見学校の助教師になり、教え子であった原善三郎の孫娘、屋寿と結婚し、原家に入籍しました。 原家の家業を継ぐと、生糸輸出を始めるなどの経営の近代化と国際化に力を入れ、実業家として成功を収めました。実業家以外にも三溪園を無料開園したり、美術品の蒐集や芸術家の支援・育成を行いました。

(以上 三溪園Webサイトより作成)

春草廬

春草廬

 春草廬は、桃山時代建築の重要文化財で、三畳台目(さんじょうだいめ)の小間茶室です。信長の弟である織田有楽斎の作品と伝えられています。  茶室内に九つの窓があることから、かつて"九窓亭"と呼ばれていました。 多くの窓を持つもので、華やかな茶室です。(公式サイトを参照して作成)
もともとは京都・三室戸寺に、月華殿に附属する茶室として作られました。1918年に月華殿と共に 三溪園に移築されました。
踏み石は、特別なものと言うより何処にでもあるような石で深みを醸し出しています。
九つの窓を付けています。
 神奈川県横浜市 三溪園1  大池 三溪園の建物 
 神奈川県横浜市 三溪園2 白雲亭 月華殿・天授院 
 神奈川県横浜市 三溪園3 臨春閣
 神奈川県横浜市 三溪園4  旧天瑞寺 春草廬  旧燈明寺三重塔 三渓記念館


  


2014年12月04日

■■【今日の写真 カシャリ!一人旅】神奈川県横浜 三溪園11

■■【今日の写真 カシャリ!一人旅】神奈川県横浜 三溪園11





 旅・・・・・ 時間に追われる現実からの開放 
 
 スナップショットは、他の人の旅を疑似体験できます。 この写真を撮った人は、何を思って撮影したのだろうか?
 
 自分も行ってみたい・・・ 他の人に、そう思っていただける写真が撮れたら最高ですね。

 神奈川県 横浜市 

 三溪園

http://www.sankeien.or.jp/history/index.html


 三溪園は、神奈川県横浜市中区本牧三之谷58-1にあります本格的な日本庭園です。生糸貿易により財を成した実業家であります原三溪(はら・さんけい1868-1939)によって、1906年(明治39)5月1日に公開されました。175,000m2に及ぶ園内には京都や鎌倉などから移築された歴史的に価値の高い建造物が巧みに配置されています。それらの中には重要文化財や横浜市指定有形文化財も含まれています。

 三溪が存命中は、新進芸術家の育成と支援の場でもありました。前田青邨の「神輿振」、横山大観の「柳蔭」、下村観山の「弱法師」など近代日本画を代表する多くの作品が園内で生まれました。その後、戦災により大きな被害をうけ、1953年(昭和28年)、原家から横浜市に譲渡・寄贈されるのを機に、財団法人三溪園保勝会が設立され、復旧工事を実施し現在に至ります。(園内地図

 原三溪(本名富太郎)は、岐阜県厚見郡佐波村(現在の岐阜県岐阜市柳津町)で代々に渡り、庄屋をつとめた青木家の長男として生まれました。1885年(明治18)に東京専門学校(現在の早稲田大学)に入学、政治・法律を学びました。跡見学校の助教師になり、教え子であった原善三郎の孫娘、屋寿と結婚し、原家に入籍しました。 原家の家業を継ぐと、生糸輸出を始めるなどの経営の近代化と国際化に力を入れ、実業家として成功を収めました。実業家以外にも三溪園を無料開園したり、美術品の蒐集や芸術家の支援・育成を行いました。

(以上 三溪園Webサイトより作成)

旧燈明寺三重塔

旧燈明寺三重塔

 
 旧燈明寺三重塔は、重要文化財で、1457年(康正3年)に建築され、三溪園には、1914年(大正3年)に移築されました。 園内のほぼ全域から、その姿を見ることができ、三溪園を象徴とする建物です。。 燈明寺は江戸時代に宗派が変わった際に、東明寺から燈明寺に改名されました。 瓦に東明寺と刻印されています。
入口を入りますと 大池越しに、直ぐに目に飛び込んできます。
大池越しの三重塔
臨春閣から臨む
臨春閣から臨む
雨が降り始め、閉園近い時間にもなり、慌ててシャッターを切ったら逆光状態
 神奈川県横浜市 三溪園1  大池 三溪園の建物 
 神奈川県横浜市 三溪園2 白雲亭 月華殿・天授院 
 神奈川県横浜市 三溪園3 臨春閣
 神奈川県横浜市 三溪園4  旧天瑞寺 春草廬  旧燈明寺三重塔 三渓記念館


  


2014年12月04日

■■【今日の写真 カシャリ!一人旅】神奈川県横浜 三溪園12

■■【今日の写真 カシャリ!一人旅】神奈川県横浜 三溪園12





 旅・・・・・ 時間に追われる現実からの開放 
 
 スナップショットは、他の人の旅を疑似体験できます。 この写真を撮った人は、何を思って撮影したのだろうか?
 
 自分も行ってみたい・・・ 他の人に、そう思っていただける写真が撮れたら最高ですね。

 神奈川県 横浜市 

 三溪園

http://www.sankeien.or.jp/history/index.html


 三溪園は、神奈川県横浜市中区本牧三之谷58-1にあります本格的な日本庭園です。生糸貿易により財を成した実業家であります原三溪(はら・さんけい1868-1939)によって、1906年(明治39)5月1日に公開されました。175,000m2に及ぶ園内には京都や鎌倉などから移築された歴史的に価値の高い建造物が巧みに配置されています。それらの中には重要文化財や横浜市指定有形文化財も含まれています。

 三溪が存命中は、新進芸術家の育成と支援の場でもありました。前田青邨の「神輿振」、横山大観の「柳蔭」、下村観山の「弱法師」など近代日本画を代表する多くの作品が園内で生まれました。その後、戦災により大きな被害をうけ、1953年(昭和28年)、原家から横浜市に譲渡・寄贈されるのを機に、財団法人三溪園保勝会が設立され、復旧工事を実施し現在に至ります。(園内地図

 原三溪(本名富太郎)は、岐阜県厚見郡佐波村(現在の岐阜県岐阜市柳津町)で代々に渡り、庄屋をつとめた青木家の長男として生まれました。1885年(明治18)に東京専門学校(現在の早稲田大学)に入学、政治・法律を学びました。跡見学校の助教師になり、教え子であった原善三郎の孫娘、屋寿と結婚し、原家に入籍しました。 原家の家業を継ぐと、生糸輸出を始めるなどの経営の近代化と国際化に力を入れ、実業家として成功を収めました。実業家以外にも三溪園を無料開園したり、美術品の蒐集や芸術家の支援・育成を行いました。

(以上 三溪園Webサイトより作成)

三渓記念館
 三溪記念館では、三溪園の創設者・原三溪に関する資料、三溪自筆の書画、ゆかりの作家作品や美術工芸品、臨春閣の障壁画などが展示されています。
2013年12月に、今村紫紅展が開催されましたので訪れました。今村紫紅(いまむら しこう)は、明治13年(1880年)に神奈川県横浜市で生まれた日本画家です。岡倉天心の指導を受け菱田春草や横山大観らの制作姿勢に大きな刺激を受けたといわれています。 詳細 ←クリック
三溪記念館の外は 紅葉真っ盛りでした。
ガラス越しのためフォーカスも甘く、手前のリフレクションが入ってしまい見るに堪えない写真になってしまいました。
上記と同様に フォーカスの甘い写真となってしまいました。
 三溪記念館入り口にあるミュージアムショップでは、三溪園オリジナルの写真集、絵はがきのほか、増田工芸、龍村美術織物の製品販売も行っています。 その横では、お茶のサービスがあり、 早速いただきました。
三溪記念館の一部
三溪記念館から対岸を望む
 神奈川県横浜市 三溪園1  大池 三溪園の建物 
 神奈川県横浜市 三溪園2 白雲亭 月華殿・天授院 
 神奈川県横浜市 三溪園3 臨春閣
 神奈川県横浜市 三溪園4  旧天瑞寺 春草廬  旧燈明寺三重塔 三渓記念館