2014年05月06日

■■【経営コンサルタントのトンボの目】 青春時代 お燈まつり

■■【経営コンサルタントのトンボの目】 青春時代を思い起こす「お燈まつり」

  経営コンサルタント事務所
  B・M・S・21代表 山本 修 先生
  日本経営士協会 理事 関西支部長

 山本先生は、美容サロンを独立開業され、その経験を元にサロン経営者に「商品管理」「顧客管理」「計数管理」を提案し、サロン経営の生産性向上に成果を上げてこられました。近年は中小企業のコンサルタントとしてもご活躍中です。

 また「日本経営士協会 関西支部長」として活躍されておられます。

 筆者詳細情報 http://www.jmca.or.jp/meibo/pd/0060.htm

 

■■ 青春時代を思い起こす「お燈まつり」

 「出身は」と聞かれると一瞬言葉に詰まる。四国高知県で生まれ、父の仕事の関係で和歌山県の新宮市に移ったのが中学三年のときであった。高校を卒業して社会人になり、新宮市が故郷のように思って暮らし、仕事の都合で大阪と新宮との間を行ったり来たりだが、今ではもう高知に行くことは殆ど無くなった。しかし、高知には子供の頃の懐かしい思い出があり、新宮には青春時代の思い出がある。

 今年の2月、何年、いや何十年ぶりに青春時代に参加して、自分の人生の中でも強烈な思い出の一つである、熊野速玉大社の摂社・神倉神社の例祭で、熊野山伏の伝統を持つ女人禁制の行事である「お燈まつり」を、孫と一緒に神社境内で観ることが出来た。


■ 高まる一体感

 白装束の「上がり子」と呼ばれる多くの男たちが、御神火を移した松明を持ち神倉山の山頂から急な五百三十八段の階段を駆け降りる祭である。

 上がり子は朝から食事は白いものに限られ、白装束に着替えて草鞋をはき、胴に荒縄を巻き付ける。支度を整えると海岸に行き、海水を口に含み身体を清めると、周辺の神社などを巡拝する「三社参り」に出発する。

 同じ上がり子同士がすれ違うたびに「頼むでえ」の声と共に、お互いの松明をぶつけ合うのが習わしである。松明のぶつけ合いを繰り返すうちに一体感が高まってくる。「連れもて行こら」(一緒に行こう)とグループが出来て、集団で神倉神社の石段を登り始める頃には周囲は既に暗くなっている。

 石段は急な登り坂で、登るのは楽ではないが、回りの「わっしょい」の掛け声に励まされる。全員が登り終わると門が閉じられ、「ごとびき岩」と呼ばれる大岩の傍で寒さをこらえつつ、しばしの間御神火を待つ。「火が来たぞ」の声と共に、到着した御神火から上がり子の手にした松明に次々と火がつけられて、一面が赤く輝くと寒さも消え去って行き、共に臨場感が湧いてくる瞬間である。


■ 家族の絆

 午後8時の開門と同時に若者は我先にと石段を駆け降りていくが、子供連れや年配者は自分のペースで下っていくのである。その様は、山全体が松明の明かりで紅に染まり、さながら下り竜の如く勇壮で、得も言われぬ興奮の坩堝に巻き込まれるひと時である。

 下り終わると境内の外には夫や恋人、または子供の帰りを待つ女性が詰めかけている。上り子同士は相通ずる一体感に包まれ、新しい年への希望を胸に、「来年も連れもて行こら」と言う別れの言葉を残して三々五々家路に就く。

 1400年余も受け継がれてきた祭の舞台、新宮の若者は「お燈まつり」が1年の始まりであった。 新宮市出身の作家、中上健次さんとの交流で「お燈まつり」を知った俳優の原田芳雄さんは「お燈まつりに行かないと一年が始まりません」と言う程の「お燈まつり」のファンだったことは有名である。

 この様に書くと地元だけの祭りのように思われるが、男性であればだれでも参加が可能である。新宮市の観光協会に問い合わせれば、白装束や松明の購入先等を案内してくれる。
 観終わって一緒に帰る道すがら、孫が「じいじい来年は一緒に登ろうか」と言ったのには、驚きと同時に何となくうれしくなり、その為にも元気で一年を過ごさなければと自然と笑みがこぼれた。 ちなみに、筆者の家は神倉神社の対面にあり、屋上からはこの祭りを真正面から見ることが出来る。

「お燈まつりは、男の祭り、山は火の滝、下り竜」


■■ 経営コンサルタントの独り言 クリック

 経営コンサルタントの視点から、経営や人生のヒントになりそうなことやブログの中から選りすぐった文章を掲載しています。

それを実現するには、簡単に、短期間に出版できる方法があります。





※このブログではブログの持ち主が承認した後、コメントが反映される設定です。
上の画像に書かれている文字を入力して下さい
 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。