2014年09月03日

■■【経営コンサルタントのトンボの目】銅剣や銅鐸が語る神秘性

■■【経営コンサルタントのトンボの目】 銅剣や銅鐸が語る神秘性

  経営コンサルタント事務所
  B・M・S・21代表 山本 修 先生
  日本経営士協会 理事 関西支部長

 山本先生は、美容サロンを独立開業され、その経験を元にサロン経営者に「商品管理」「顧客管理」「計数管理」を提案し、サロン経営の生産性向上に成果を上げてこられました。近年は中小企業のコンサルタントとしてもご活躍中です。

 また「日本経営士協会 関西支部長」として活躍されておられます。

 筆者詳細情報 http://www.jmca.or.jp/meibo/pd/0060.htm

 

◆  銅剣や銅鐸が語る神秘性  ◆

   ~ 神話の国・出雲 ~


 昨年は、皇室三種の神器を祭る「熱田神宮」「伊勢神宮」「出雲大社」三社の大祭が一年間に行われる記念の年で、「草薙の剣」を祭る「熱田神宮」について記させて頂きましたが、今回は「出雲大社」について記してみたいと思います。

 朝鮮半島などから土地を引き寄せて島根半島が出来上がったという「国引き神話」、オオクニヌシノミコトによる天照大御神への[国譲り神話」。日本誕生にまつわる神話に彩られる神の国・出雲であるが、考古学では、数十年前まで「神話だけの世界」と言われていた。

 昭和59年に荒神谷遺跡(島根県出雲市)で大量の銅剣が発見されても、「大和勢力(畿内)が“僻地の”出雲に埋めた」との説が強かったのである。「出雲に大量の銅剣や銅鐸を製造する力は無かった。大和の勢力が、支配の境界である出雲に銅剣などを埋める祭祀を行い、外敵の侵入を防ごうとした」「荒神谷遺跡発掘まで、出雲は考古学的に縁辺の地と考えられていた」「神話では主要舞台であっても、考古学的には『実証性がない』と議論もされなかった」という。


■ 考古学最大の謎

 平成8年に加茂岩倉遺跡(島根県雲南市)から国内最多の銅鐸39個が出土。荒神谷遺跡とは3.5キロしか離れておらず、「国内最多」が重なる出雲は、もはや辺境では無くなった。

 「考古学最大の謎」と言われる銅鐸や銅剣の大量出土について、弥生時代後期に隆盛した山陰特有の「四隅突出墓」との関連を指摘する説もある。

 前述の両遺跡の青銅器が埋められたのは、約二千年前の弥生時代後期初めごろで、四隅突出墓の出現時期とほぼ重なる。「四隅突出墓を築く程の巨大な権力者の出現に伴い、銅剣や銅鐸をあがめる祭祀が終焉を迎え、一括して埋められたのであろう」


■ 古墳時代

 しかしこれほど独自性を誇示した出雲も、古墳時代になると四隅突出墓が姿を消し、大和勢力の参加に組み込まれていったのである。

 古墳時代に確立された大和中心主義の下に編纂されたのが、古事記や日本書紀である。そこには、出雲の存在感を消そうとする意図が随所に見える。

 「国来、国来(くにこ、くにこ)」出雲の神がそんな掛け声とともに、朝鮮半島などから土地を網で手繰り寄せたと伝える国引き神話。奈良時代の出雲国風土記の冒頭に記されながら、同時代の古事記や日本書紀には登場しない。朝鮮半島支配が出雲主導と見られることを、大和側が警戒したとも言われる。

 一方で記紀にしっかり記されているのが、国譲り神話である。オオクニヌシが築いた国土を高天原の神・天照大御神に迫られて譲った。高天原に例えられる大和王権が出雲勢力を支配したことを強調している。オオクニヌシは国譲りの条件として、天にそびえる高層神殿を求めたと古事記は記す。

 この高層神殿こそ現在の出雲大社で、このエピソードを証明したのも考古学である。現在の出雲大社本殿の高さは24メートルであるが、平安時代には48メートルとされている。

参考資料 産経新聞 歴史よもやまより

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