2015年05月12日

■■【歴史に学ぶ経営】 大阪の行政が問われる 

■■【歴史に学ぶ経営】 大阪の行政が問われる 

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 「原点に返る」「歴史は繰り返す」という言葉があります。歴史をひもとくと、我々に大きな示唆を与えてくれます。視点を変えると経営にも活かせることがたくさんあります。


 ところが、それに気づかないことが多いのです。皆さんの気づきの一助になればと考えてお届けします。


■大阪の行政が問われる


 大阪の行政のあり方が問われる秋になりそうです。


 初めて大阪の御堂筋を目にした時、広い道幅、それにこの道が一方通行なのに驚かされました。


 その昔、「大阪を経済で日本一にし、東京を従えさせる」と言って闘い続けた市長がいます。


 関一(せき はじめ)。明治6年、幕臣の家に生まれ、20代の頃、ヨーロッパに留学もしています。その際、開業後3週間のパリの地下鉄に乗ったことが、後の人生に大きく影響します。


 42歳で大阪市助役になると、大正7年の米騒動では、市設市場を設置し、安く米を提供。6日で沈静化させました。また、単身労働者や失業者のための簡易宿泊所や託児所、児童相談所を創設していきました。


 市長になった大正12年以降は、中央市場の開設、大阪城天守閣の再建、現在の大阪市立大学の開校。そして、御堂筋の拡張と日本初の市営地下鉄である御堂筋線の開通を同時に成し遂げました。


 この時に大阪の大動脈である御堂筋は、それまでの道幅が6.3mだったのが43.6mになりました。


 昭和9年、室戸台風が西日本を襲い、復旧復興に全力をあげている最中の翌昭和10126日、病気で現役市長のまま、この世を去りました。直前には多くの市民や労働者が見舞の電報を送り、神社に回復祈願をしたそうです。


 関市長が助役時代にこんな言葉を残しています。


 「上を見て、煙突を数えるだけでなく、労働者・市民の状態を見よ」


  資料出典: J-NET21





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