2016年04月14日

■■【カシャリ!一人旅】 京都 相国寺 養源院1

■■【カシャリ!一人旅】 京都 相国寺 養源院1



思い立ったらカシャリ!


へたの横好きで撮った写真をここにまとめておくことにより、必要なときに見やすいようにと考え、単なる思いつきで着手しました。

他人様に見ていただくというより、自分の作品を整理するためのページです。


 


京都  相国寺 養源院 
 
■ 相国寺(しょうこくじ)とは 相国寺は、臨済宗相国寺派の大本山で、京都五山第二位に列せられています。正式名称は「萬年山相國承天禅寺」という禅宗のお寺です。 14世紀末の室町時代、三代将軍の足利義満により創建されました。何度も焼失の憂き目に遭遇しましたが、法堂(はっとう)は1605年に再建され、日本最古の法堂建築です。 夢窓疎石を開山とし、創建当時は室町一条あたりに総門があり、50あまりの塔頭寺院があったと伝えられています。■ 名前の由来 「相国寺」は「しょうこくじ」と読みます。「首相」という言葉は、「相」を「しょう」と読むことから違和感はないでしょう。「相国」とは「国をたすける」、「国を治める」という意味です。中国からきた名称で、左大臣の位を「相国」呼び、創建した義満は左大臣であったことから「相国寺」と名付けられました。     資料出典: 相国寺公式サイト      パンフレット1  パンフレット2  パンフレット3■ 養源院 https://kyoto-design.jp/event/20589 養源院は、臨済宗相国寺派の塔頭の一つで、相国寺境内南西側に位置します。平素は非公開ですが、京都市特別公開50回を記念して、特別公開されていました。 開祖は曇仲道芳(どんちゅうどうほう)で、詩文に優れたいたことから、室町幕府三代将軍である足利義満やその子義持(よしもち)の親子に寵愛されました。次図から出世を望まず、終生黒衣で通し、禅室「養源軒」に隠棲していました。 幕末の戊辰戦争の際には、薩摩藩の野戦病院となり、イギリス人医師のウィリアム・ウィリスにより、日本で初めてクロロホルム麻酔を使った外科手術が行われました。その部屋の柱には、当時の藩士が付けたという刀傷を処々に見ることができます。 本堂中央には、本尊・薬師如来像が安置され、その奥に毘沙門天(多聞天)が安置されています。鎌倉時代慶派仏師の作と伝わり、像高170cmの立派な寄せ木造りです。左手に檄を掲げ、玉顔をはめ込んだ眼光鋭い表情が憤怒の層を示しています。写実的で若々しく、大変印象深い作品です。 永年、その存在は知られていませんでしたが、江戸時代に相国寺近くに住む奈良屋与兵衛(ならやよへい)の夢枕に、この毘沙門天が現れて「我が像を修復して人々に参拝せしめよ」というお告げがありました。その結果、この木像が発見されたと言い伝えられています。  特別展は、同志社大学の大学生等の学生さん達が案内をしてくれました。



相国寺 養源院1
 
法堂と大塔の間から養源院の門を見る。 その奥は同志社大学構内
鎌倉時代慶派仏師の作と伝わる 毘沙門天の石碑
門正面が本堂
本堂を右手に見ながら 道なりに進みます
本堂前の庭
右手本堂
鎌倉時代慶派仏師の作と伝わる、像高170cmの立派な寄せ木造りの毘沙門天(多聞天) 表の立て看板を撮影


 


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